私のメールを見てくださる方々に読んでいただきたいと思い、まだ誤字脱字、文章の変更など問題はあると思いますが、この様な形で話をしながら、色々歌い分けてコンサートを進め様と思っております。

譜例はプロジェクターでスクリーンに映して説明したいと思っております。お楽しみ頂けると思っておりますが、どのようになるかは始めてみなければ分りませんし、原稿があっても脱線に次ぐ脱線が私の特徴ですので終わってみなければどのような結果になるか分りません。でもそれが「レクチュア・コンサート」ではなかろうかと思っております。

終わってみて結構むずかしい事だと痛感しています。先ず、風邪を引きのどの状態が万全ではなかった事、従って思うように歌えなかった事が、一番残念でした。しかし回を重ねる毎に良くしていかなければと考えております。次回は万全に準備で望みたいものです。

川村英司 レクチュア・コンサート 2002/2003 第1回 

(原稿)

Hugo Wolfの Mörike歌曲集より

 

お忙しい所お出掛けいただき有難うございます。厳しい暑さでしたが如何お過ごしでしたか?

 

今までは色々と忙しくしており中々この様な計画を立てたいと思いつつも、二の足を踏んでしまいました。この様な会を皆さんがどれほど興味をお持ちになられるかあまり分かりませんが、私が今までの演奏で感じていた事、曲の解釈について留意してきた事、より良い演奏に通じると思い調べた事、収集した写真版楽譜やその他諸々の資料などを基にして、感じるままに、難しくならないように、専門的にならないように話ながら楽譜の比較をしたり、楽譜による演奏の変化を聴いていただいたり、リサイタルとは一味違う普段着の私を知っていただきたいと思いました。

 

前回のリサイタルではプログラムの半分に日本歌曲を入れて組みましたが、今まではドイツ語の曲ばかりのプログラムが99%以上になっておりました。日本語が母国語の我々にとって一番良く歌えるものは母国語の日本歌曲のはずです。しかし詩の捉え方、伴奏による表現など、残念ながら日本歌曲は歌曲の分野では後進国といっても過言でないでしょう。より良い日本歌曲を作曲してもらうためには、我々演奏する者が積極的に取り上げて歌わねばと言う意見はもっともなのですが、ドイツ歌曲に魅せられている者にとっては、中々守備範囲を広げる事は大変な事です。 私は今後積極的に日本歌曲を取り上げて演奏しようと思っておりますが、ドイツ歌曲の面白さ、楽しさ、ドイツ語をもっと親しんで聴いて頂く事、よりドイツ語に興味を持っていただけるように、難しいと考えられている作曲家を身近な、楽しめる作曲家になってもらえるような話をしたいと考えました。

 

第1回に「Wolfのメーリケに詩による歌曲集」よりと致しましたのは、来年がヴォルフの没後100年の記念の年であり、また私が学生であった50余年前は日本に於いてヴォルフはもっとも難解な作曲家と思われておりました。「愛の贈り物で私を惑わさないでおくれ」という言葉で始まる『世をのがれて』 "Verborgenheit"を『隠棲』と題して暗く、重苦しく、老人の歌として歌っていたのを記憶しています。訳の分からない難解な作曲家と思われた聴衆は多かったと思います。唯一明るそうな歌が『庭師』 "Der Gätner"でした。馬がガロップする足取りの伴奏が明るい雰囲気をかもし出したのでしょう。この2曲も後で説明を加えて歌います。

 

しかしどんな内容の歌でも重苦しく、内容とは関係なく暗く、つまらなく歌うと「格調が高い」、「ドイツ歌曲は哲学だ!」と有り難がった時代がしばらく続いたのではなかったかと思います。G. ヒッシュ氏を「リートの神様」と崇めたその時代の評論家、マスコミはどのような感覚を持っていたのでしょう。全く不思議な人種と思っています。

 

したがってシューベルトの『冬の旅』を重苦しい年寄りの歌、哲学があるとして『格調高く』歌ったり、歌わさせられた歌手はどんなに多かったでしょう。ヒュッシュ氏の『冬の旅』に慣れ親しんで神格化した評論家や一部の愛好家の耳には戦後のホッタ−氏やフィシャー=ディースカウ氏の『冬の旅』がどのように受け止められたと思われますか?随分困って、当惑した事と思います。若者の失恋による苦悩を若々しく歌った演奏に戸惑った人、批評家は非常に多かったでしょう。昭和28.9年の彼らに対するレコード批評などを読んでみるのも楽しいのではないでしょうか。

 

話は元に戻します。幸いな事に私は大学2年からRia von Hessert(ドイツ人)先生に師事しましたので、ドイツ人から直接ドイツ歌曲を勉強できました。ヴォルフの「イタリア歌の本」よりウイットに富んだ歌曲を習いましたので、ヴォルフに関する解説を読んで、その違いにびっくりしたものでした。

にもかかわらず、「川村さんドイツ・リートを本当に勉強したいのなら木下保先生を紹介してあげるから、彼に習わなければ駄目だよ!」と奨めてくれる面白い、お節介な先輩が一人以上いました。ドイツ人に習っているにもかかわらず、本格的に勉強するのなら日本人の先生を推薦すると言うのですから、不思議を通り越していました。それほど狂っているのが日本の当時の現状でした。

 

1957年秋よりオーストリア政府給費留学生として国立ヴィーン音楽院に入学して間もなく、ホッタ−さんの "Heitere Lieder"「楽しい、愉快な歌」と題したリサイタルを聴きに出掛けました。歌の途中であちこちでくすくす、歌が終わるとどっと笑ったり、それは楽しいリサイタルで、ヴィーンにいるのだという実感を肌で味わった一夜でした。楽しい表現を聴いて素直に微笑んだり、笑える聴衆に感動したのでした。その一端を皆さんにも感じていただきたいと思います。曲に含まれているそれらのウイットを説明して、より良い理解を加えて頂きたいと思います。我々が何を考えて歌っているのか、皮肉を込めているのか、素直に感動して歌っているのかを聴き分けて下さい。

 

1888年以前にもヴォルフは沢山の歌曲を作曲していますが、爆発的な楽想が湧き出始めたのがこの年です。非常な勢いでメーリケの詩に集中しました。その発端となったのが『少年鼓手』"Der Tambour"[1888年2月16日] で『メーリケの詩による歌曲集』の最初に作曲した歌曲です。自筆楽譜(譜例1)や校正刷り(譜例2)初版(譜例3)、再版(譜例4)を見てください。

恐らく一人っ子の甘ったれ少年、と言っても軍楽隊には入っているのですが、「俺のおかあちゃんが魔法を使えたらなー」、「フランスまででも何処まででも俺達と一緒に来て、酒保で働いてくれるだろうに」と寝ぼけた事を半分寝ぼけて考えています。伴奏は鼓手を表現しているので左手は小太鼓を叩いている音です。  (一寸左手を弾いてください。)

「もしもかあちゃんが魔法を使えたらばナー!」[Wenn meine Mutter hexen könnt !] と言う感じも「魔法を使えたらばナー!」[hexen könnt !] をどのように想像して歌うかで、色々表現は変わって来ます。魔法を使えない事は百も承知しているのですが、その甘ったれの願望をどのように表現するかがこの曲の難しさ、楽しさです。お終いは「魔法が使えたらナー」、「魔法が使えたらナーー」と繰り返してつぶやきながら寝入ってしまうのです。私個人としては一度この曲の後奏で鼾をかいてみたいと言う願望に何時もかられるのですが、まだ実現していません。詩の途中に「人も馬も鼾をかいている」と言うくだりがありますので、一度は実現させたいと思うのですが、矢張り理性が邪魔するのでしょう。

はじめのWenn meine Mutter hexen könnt ! の表現を色々とかえて、また終わりのWenn meine Mutter hexen könnt ! の2度の繰り返しを試してみます。2度目には「夢の中のように」( wie im Traume ) とありますので、夢うつつで、半分寝た状態で歌いたいものです。

 

半分フザケタ感じの歌や皮肉たっぷりの詩をメーリケは沢山書いたのでしょう。Wolfはこの歌曲集の最期に5曲も愉快な歌を作曲しています。

 

『老婆心ながら』" Zur Warnung " 『いましめに』でも良いでしょう。この曲は朝起きたら二日酔いで頭はガンガンする、喉は乾く、おまけに声は昨夜の騒ぎ過ぎでガラガラと言う感じで歌の初めにヴォルフは ( mit hohler, heiserer Stimme ) と指定しています。Werba教授が舌の長い感じで、がさがさの声で二日酔いを歌ってくれた雰囲気は忘れられません。絶品でした。途中で学生全員がbravoと手を叩きました。その感じで歌いたいと思うのですが、毎回上手く行きません。自筆楽譜(譜例5)、校正刷り(譜例6)を見てください。

途中の「うぐいすが鳴いている…」と二日酔いの本人が調子はずれに歌うところも、もし真面目に、普通に音程を正しく歌うとこんな感じになります。しかし二日酔いがヤケッパチで調子はずれに歌うと、その調子の狂っている事が中々味の有る歌になるでしょう?そう思いませんか?最後の2行だけがまともな声で二日酔いを諭すと言うか、皮肉ると言うか、「迎え酒が一番」、「神様を呼んでも駄目だよ!」と終わります。

 

『ある結婚式で』" Bei einer Trauung " 自筆楽譜(譜例7)、出版社に渡した清書楽譜(譜例8)と初版楽譜(譜例9)を見てください。

私はこの曲で表現されている大勢の高貴な貴族ばかりと言える参会者達を皮肉って、ある意味での共通点を考え、日本における大勢の格調高いknödel (団子声)歌手を皮肉り少々の団子声で高貴な、所謂格調高い高貴な人々をもじって尊大な声を出す努力をします。歌詞にあるように花嫁も花婿をそれはそれは気の毒な状態です。「無理もない、無理もない。二人の間には愛等は全くないのだから」、その最後の言葉 メdabeiメ の音程のなんと調子のはずれていること!こんな音程をヴォルフが考えた事には驚いてしまいます。第2回のアイヒエンドルフとゲーテの日に歌う予定の『羊飼い』"Der Schäfer"(ゲーテ)でもそのような音程がありますが、ヴォルフの面目躍如と言う感じがします。本当に歌っていて楽しくなりますし、1960年にFischer=Dieskauさんがヴィーンでこの曲を歌ったときの人を馬鹿にしたような声は忘れられません。途中の ,,Seht doch!, sie weint ja greulich, er macht eine Gesicht abscheulich!「見てごらん!花嫁がおぞましく泣いているのを!、彼の顔は嫌悪に慄いている」をどのように歌えばピッタリするでしょう。私が高貴な出であれば決して歌えない皮肉な声を、喜こびを持って歌えるのは有り難い事です。ヴォルフは清書楽譜で sie と er の単語にアンダーラインを引いています。これはこの言葉を特に強調するように指示していると私は考えます。

 

声に関して一寸触れさせてください。私のホームページに「発声に関して考える 1,2,3」を掲載していますが、私の発声に関する考えをお暇な時に読んでいただきたいとお願い致します。不自然な事をして声をだしては、聴く人に不快感を与えます。実際に私は若い頃(歌の勉強を始める前に)日本人のクラシック歌手の声を奇妙な、不快な声として不思議に思っていました。私には言葉の理解できない外人歌手の声の方が素直に耳に入ってくるのですが、日本人の声は奇異な感じで耳が受け付けませんでした。聴いている方の喉が詰まってきたり、肩がこってきてしまうのです。何とも不可思議な、奇妙奇天烈な声に聞こえました。皆さんにそのような経験はありませんか?

もし歌を歌うのなら、心地よい響きの自然な声で、外人のような声を出したいと思ったものでした。

極普通に声を出したときと、皮肉った声を出したときでどの様に皆さんは感じられますか?興味があるのですが。

 

『問わず語り』" Selbstgeständnis "の詩を良くdeklamieren(表情豊に朗読する)してみると、いかにヴォルフは作曲に際してdeklamierenしていたかが分かります。ヴォルフは良い、気に入った詩を見つけると友人達を集め、声高に何度も読んで聞かせ、静かになったなと思ったら作品が出来ていた。と言う逸話が残っています。自筆楽譜(譜例10)、初版(譜例11)を見てください。一人息子に対する過大な期待、子供が感じる迷惑など、冗談、皮肉たっぷりに作曲されています。Liebe, Treue und Güteをどの様にありがた迷惑な表現をするか楽しみながら歌います。自筆楽譜では Alles an | mir を四部音符 - 八分音符 - 八分音符 | 四分音符 [_ ♪♪|_ ] と刻んでいますが、初版では 八分音符 - 八分音符 - 四分音符 | 四分音符 [ ♪♪_ |_ ] と刻みを見落としています。ケッヘルとの娘さんに誕生祝に上げたヴォルフの書き込みのある初版楽譜(譜例11b)では勿論気が付いて直してあります。したがって再版(参考資料1)では自筆楽譜と同じに直っていますが、不思議な事にペーター版では初版の間違いにまた戻っています。

 

この曲は自分がその境遇にあると言う想像をして、「ハイお利口さんですね」「優等生ですよ」と、過剰な愛情を注ぎ込まれてゾーッとしている一人息子、半ダース分叩かれた方がどれだけましだったか!自分の事であったかのように過去を振り返って歌います。日本の少子化時代の親馬鹿を皮肉って見るのも一興ではありませんか?私は自分がその立場に置かれた事を想像してこの曲を表現します。

子供は結構自然で、健康なのです。迷惑千万な押し売りの愛だの、誠実、思いやりにはうんざり!しかも6人分を一人で背負い込まねばならぬとは。と言う所です。後奏は伴奏者によって、また時によって色々な表現が出来、終わった瞬間にクスクスと笑い声が聞こえた事はしばしばです。冗談として演奏するゆとりが欲しいものです。

 

メーリケ歌曲集の殆どはPerchtoldsdorf、別名Petersdorfの友人Heinrich Werner氏の家で作曲しました。2階の一室が彼の使用していた見晴らしの良い家です。その部屋にいると楽想が湧くと言って、しばしばヴィーンから出掛けて行きました。この村はトルコ軍に何度も壊滅的な被害をこうむった所で、ヴィーンから市電の終点で下車し、少し歩けば着くところです。ヴィーンの森の南端がここで終わっていますのでヴィーンの森に散策にも向いています。

 

余談になりますが、Heinrichの息子さんが(もうお年で亡くなりましたが)とてもヴォルフに似ていましたので、大勢の人がヴォルフとヴェルナーさんの奥さんとの間の子供だと噂をしていました。ヴェルバ先生の奥さんが「エイシ彼をよく見てごらん!ヴォルフにそっくりだろう!?」言われた事も有りました。10年ほど前まで本当にそう信じていましたが、現在この建物がNiederoesterreich州のヴォルフ博物館になって一般公開されています。かつての所有者としてHeinrich Werner氏の写真がかざられていましたので良く見ると、Hugo Wolfにそっくりなのです。父親がこれだけヴォルフに似ていると息子がHugoに似ていてもなんの不思議もありません。人の口の恐ろしさを実感しました。あらぬ疑いをかけられたのですから、気の毒な事です。

庭から少し上がった所に東屋がありその東屋から眺める周りの景色はメーリケ歌曲集第2曲の「子供と蜜蜂」に出てくる風景と全く瓜二つ、メーリケがここに来て詩を書いたのかと言えるほどです。勿論メーリケは訪ねていません。周りは一面ブドウ畑でぶどう酒農家が沢山あり、それぞれの家で造ったワインを飲む事が出来ます。11月になるとこの町の新酒の飲み比べ会があり、約100円でコップを買い、いくらでも、何十種類ものワインを飲めます。酔っ払うだけ飲めます。

 

そのWindebang(東屋)が出てくる『子供と蜜蜂』"Der Knabe und das Immlein"の一部分を歌ってみます。蒸し暑い夏の日のお昼、けだるくて小鳥さえ囀るのを止めている時間に蜜蜂がせっせと蜜を集めて飛びまわっています。子供と少々おませな会話をしています。ヴォルフは蜜蜂が飛んでいる羽音を自筆楽譜(譜例12)には trに波型が次の音まで付いていますが(tr__ で表していますが)、初版(譜例13)からtr だけになっていますが、従ってペーター版(参考資料2)も同様ですが、ピアニストはともすると短いトリラー(Triller)になり蜜蜂が墜落しそうになりますので、僕の楽譜(参考資料3)ではtr__ で表しました。出きるだけ長く弾く事をお勧めします。

 

Perchtoldsdorfから数キロ南に行くとGumpoltskirchenと言う村があり、ここのワインは日本人向きの少し重い味のワインが飲めます。この地方一帯はワインの産地です。

 

皆さん2,3週間ほどヴォルフに縁のある町めぐりをしませんか?来年はヴォルフの没後100年に記念の年であり、色々な催しがあると思います。ヴォルフ=シンポジウムも開催される噂は聞き及んでいます。

 

『あばよ』"Abschied" はとても印象の強い、思い出深い曲です。プログラムの中に入れたり、アンコールとして歌ったり、かなりの回数を歌ったと思います。自筆楽譜(譜例14)、校正刷り(譜例15)を見てください。 かつて日本で、この曲を歌い終わるや否や故クラウス・プリングスハイム先生が楽屋に飛んで来て「また批評家を馬鹿にした!2度と歌ってはいけない!」と怒っていました。メーリケが批評家を馬鹿扱いにして、下らん事をぐだぐだ喋らせて、最期に批評家が帰るときに階段の上で一寸ばかりお尻を触ってやったら、ナンと早く階段を降りていった事か、こんな早く降りる人を見た事ないと喜んでヴィーナーワルツを踊ります。実は蹴っ飛ばして転げ落とさせたのです。階段を転げ落ちる少し前の言葉にleuchtenと言う単語がありますが、表の意味は「灯りを当てる」とか「光らせる」と言う意味ですが、裏の意味として「追い返す」と言う意味も持っています。辞書によっては裏の意味が記載されていないのがありますので、何種類かに辞書を持つことをお勧めします。また10年か20年に一度は同じ辞書でも買い換える事が必要かと思います。辞書も進化していますので。

このワルツの後奏でウェルバ先生は凄い拍手をいつも貰っていました。その弾き方は見事なものでした。しかしそれぞれの伴奏者が思い思いに個性を出して楽しんで弾く事が肝要でしょう。最初はスローワルツ(イングリッシュワルツ)で、次にヴィーナーワルツ(クイックワルツ)ですが、ステージ上をワルツで踊りまくるつもりで弾いてもらいたいと思っています。

 

批評家が芸術家に対して下らん事を語る部分は、批評家に対する皮肉、嫌味からそれ相応な声を心から湧き出させます。したがってその皮肉り方によって、色々な声で表現できます。しかし「根本的な発声を変えて声を出す事は致しません。」と言うのが僕の信念です。「心で本当にその内容などを感じていれば、それに一番相応しい声を出すように人間の身体は自然に働き、無理をせずに一番良い表現ができる声を出すようになる。」と言うのも私の見解です。ただし喉に無理をさせていないことが条件です。喉を固くしていては、どんなに感受性の豊かな人でも、その心は表現に結びつきません。

 

我々日本人にとっては深刻な歌、宗教的な歌や真面目な歌はとても歌いやすいと思いますが、諧謔的な歌や冗談、フザケタ歌は不得意です。国民性かもしれませんが、本当にその気になって試みる事は大切ではないでしょうか?現代我々の年代には不可解な笑い、漫才などで馬鹿笑いする世代も育っているのですから。

 

ヴォルフは本当に多様性のある作曲家ではないでしょうか?その作風も多種多様です。朝のすがすがしい空気の中で、色々想像しながら散歩する『朝の散歩』"Fussreise" 前奏で伴奏が気をつけなければならないのは厚い和音の2、3拍目を大きく弾かないように細心の注意を払う事です。アウフタクトから1拍目にかけてタ・タ・タン・タ・タのタンの後のタ・タ(2,3拍)が大きくならないようにする事ですが、良く調子に乗って逆にアクセントをつける人を耳にします。この曲でヴォルフが「初版に訂正など手を加えた楽譜をケッヒェルト夫人の娘ヒルデに誕生祝」として贈呈していますが(譜例16)、その中で ,,Also bist du nicht so schlimm, o alter Adam, wie die strengen Lehrer sagen," (だから大昔のアダムよ貴方はそんなに悪くはないのだ、厳格な先生方が言うほどには) の始まりにetwas ruhiger がありますが、wie die strengen の所に I. Zeitmassを書き加えています。勿論書き加えられてなくとも厳格な、融通の聞かない先生を表現するにはインテンポできちっと演奏するほかには方法はないと思うのですが。ヴォルフの書き込みはとても親切であると思います。自筆楽譜(譜例17)、清書楽譜(譜例18)、初版(譜例19)、再版(譜例20)を比較して見て下さい。

 

その他の曲にも色々為になるかきこみが加えられていますが、必ずしも再版で印刷されている楽譜に訂正が加えられているとは限りません。この楽譜が我々の目に触れれるようになったのは5,6年前からですので、恐らく(誕生祝に贈呈された)この本を最初に参考資料として使用ができた編集者は幸いな事に私でありました。この様な幸運も要因の一つでしょうが、私のヴォルフ歌曲選集全4冊にはかなり新しい資料を加える事が出来ました。総て自筆楽譜を参考にして編集しました。

 

色々ヴォルフの手が加わって初版、再版楽譜が出来たのですが、最期までヴォルフが見落とした_があります。その曲は『恋人に』"An die Geliebte"です。第5小節の最期の和音を聴いてください。自筆譜(譜例21)、その他(初版譜例22、再版譜例23)では_を付けていませんが、Peters版(参考資料4)ではわざわざ付ける必要の無い♭を付けています。その両者の響きを聞き較べて下さい。私の編集した楽譜(参考資料5)はこの様にナチュラルを付けました。

後奏にはヴァーグナーの影響が明瞭に見られます。

 

『飽くことを知らぬ恋』“Nimmersatte Liebe”は個人的には女性が歌うのは好みません。詩の内容は男性の話すことのように思います。対訳を読まれて、どう感じられますか?

繰り返しの所のピアノ伴奏ですが、ヴェルバ教授が「16分音符遅れて弾くのが出遅れたように聞えるので嫌だ!1回8分音符にして歌手と一緒に弾きたい!」と言っておられましたが、歌が少し長めに歌えば決して聴衆に誤解されないですむと思います。歌の繰り返しの表現としても長めにした方が歌い易く感じますので、僕は8分音符を長めに歌います。その音に入る前の伴奏の和音は、自筆譜ではアルペッジオになっています。自筆楽譜(譜例24)を見てください。

 

この辺で今日は終わりと致します。ご静聴有難うございました。

 

最後に"Verborgenheit"(譜例25)と"Der Gärtner"(譜例26)を歌って終わりと致します。疑問点など質問がありましたら最後に承りますのでどうぞ!

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